「非」合理主義
「合理主義」という言葉があります。
字義どおりには、「理に適うことばかりをやっていこうぜ」という考え方。
実際には、経済的な意味で理に適う行動、という意味合いで使われることの多い言葉です。
私はこの言葉に何かしら逆説的な印象を抱きます。
天体の運動しかり半導体回路の挙動しかり、
そもそも世の中のモノは、全部物理法則に従って
「合理的」にしか振る舞い得ないはずです。
そのような中、人間をはじめとしたある程度複雑な生物だけが
「非合理」な振る舞いをしています。
(少なくとも見かけ上非合理に思われます。)
この視点に立つと、「非合理に振る舞える」というのは
人間(およびその他の生物)だけが獲得した
ある種の「能力」なのではないかというように思えてくるのです。
例えば芸術活動は何の物質的利益も生じない、経済的に非合理な活動です。
しかし芸術は、GDPには現れない豊かさの源です。
「非合理性」というのは、「豊かさ」と何かとても深い関係を持つ概念に思われます。
もっと言えば、「自由」とは「理にかなわない行動を選択できる能力」のことではないでしょうか?
そんなことを思うと、
「非合理的に振る舞う能力」を獲得した人類が
あえて合理性を追求するというのは、
なんだか先祖返りをやっているような気がしてくるのです。
前の記事で
kindleを使ってみて改めて紙の本の良さに気付いたという話を書きましたが、
合理主義を突き詰める中で「非合理」の世界の価値が
相対的に照らし出されていくような流れが起こると
もっと面白い世界になっていくような気がします。