考えがち

難しいけど面白いことを考えて、やさしく面白い伝え方ができる、そんな人になりたい。

夢の重心をずらす

趣味でも仕事でもそうだが、一生懸命、人一倍努力しているのに、いつまでたっても報われない人がいる。僕自身、趣味でやっている楽器がそうだった。

 

ずっと努力していれば、いつか報われるかもしれない。その可能性があるのに、途中で諦めてしまっていいのだろうか。そんな思いで毎日ひたむきに努力を重ねるが、ただただ消耗していく。

 

人間だれしも何かしらの才能を持っている、とはよく言われる。でも、才能の在り処と夢の在り処とは、離れている事が普通だ。たまたま才能と夢とがうまく噛み合っている人は、「天才」と呼ばれるほどのパフォーマンスを発揮する。一方で、自分の才能と夢のずれをうまく把握できないと、時間ばかり過ぎていくことになってしまう。

 

だから、自分に才能が無いと思った時、本当に必要なのは「努力」ではなく「移動」だと思う。自分の性質にフィットする土地に出会うまで漂流すること。夢の重心をずらしていくこと。

 

「才能を磨く」ことはできる。でも、無い才能を創り出すことはできない。だから、自分の才能が光る土地まで「移動」する。すると才能は自然と磨かれていくものだと思う。

 

例えば楽器を弾いているとして、「楽器をやめろ」という話をしているのではない。「今まではこういうプレイヤーになりたかったが、自分の特性を考えるとこういうのもありだな」というようなちょっとした転換で、夢と才能が噛み合い出す場合があると思うのだ。

 

とはいえ、場合によってはそれは今までの夢を諦めることにあたるかもしれない。でも、生まれてから今までに出会った夢が、本当に見るべき夢かどうかなんて分からない。そして、事実として、今のところその夢は才能とうまく噛み合っていないようなのだ。

 

そんな時に、ちょっと夢のあり方を考え直してみるのもいいんじゃないだろうか。苦しみながら夢を追うというのは、必ずしも正しい在り方とは限らない。